2007年08月25日

Crumpler Sinking Barge / 5 Million Dollar Home

先日、ひょんなことで新疆ウイグル自治区・タクラマカン砂漠近辺に行くことになった。西安・敦煌・ウルムチ・カシュガルを訪問するのだが、ひょいと行けるところでもないのでしっかりと記録をしておこうとデジタル一眼レフを購入した。砂漠でレンズ交換をする気になれなかったので、カメラはCanon EOS Kiss Digital X, レンズはSIGMA 18-200mm DS OS一本のみを選んだ。さらに昨今のデジタル一眼はパソコンとペアでその実力を発揮する。なので手持ちのMacBookも持っていくことになった。

が、それを持っていくためのバッグがない。さて困った…

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いろいろとリサーチして選んだのが、Crumpler the Sinking Bargeであった。PCとデジタル一眼をレンズ2本程度収納することができる。けばけばしいカラーコントラストの内部では、PCもカメラも手厚くパッドで保護される。MacBookの方はIncase Designのスリーブに入れてぎりぎり入れることができた。
プラスアルファでいくらかのドキュメント、トラベラーズノートブック、長袖のシャツと帽子、砂塵よけのビニール袋、PCとカメラの充電器・ACアダプタなどを入れてコンパクトに背負うことができた。

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背中には厚手のパッドがついていて、さらに中央部が溝になっている。背骨の通るところになるが、これが非常に担ぎやすくしている感じだ。本体と背負うストラップの布が一体になっているのも、消耗した時にストラップが切れるのを防止しそうな気がする。ごついファスナーがついていて、うまくやれば南京錠をつけることもできる。

加えて見た目があまりカメラバッグらしくもないところも好みである。あまりにすっきりシンプルで、外側にたとえばペットボトルを収納するネットのようなものは附属していない。今回は砂漠で水が欠かせなかったので、Colemanの500mlペットボトルキャリアをカラビナでリュック附属のDリングに装着して行動した。

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しかし帰ってくれば今度はPCなしでカメラを持ち歩きたい。がまたしも適切なバッグがない。そこでまたまたCrumpler 5 Million Dollar Homeを買った。こちらはカメラ一台と交換レンズ1本、いくらかの付属品が入れられるくらいの大きさ。
同じく見た目がカメラバッグらしくないところも好感がもてる。(とにかくあの「カメラバッグだよ!」と大声で叫んでいるようなデザインのバッグは、とても持つ気になれない。)

どちらもよい買い物をしたと思う。


2007年04月18日

Democracy Internet TV

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Participatory Culture Foundationというサイトが出しているDemocracy Playerというアプリケーションがある。(ちかぢか別の名前になると聞いている。)

早い話がRSSによるvideo feedの集積所といえると思う。メジャー系ニュースビデオ、音楽系、プライベートビデオ、著作権を含めて正体不明のリソース、その他NPOなどの出しているフィードなど、あらゆるものがある。

美しいものから、悲惨なものまで、さまざまなものがある。
またオフィシャルなニュースリリースといったものから、その裏を示すようなプライベートビデオまで存在する。その表と裏の両方の存在が等しく示されているところに、渾沌の中での、個の力が明らかに示されていると思う。

インターネットというフレームワークのbest partのひとつかもしれないと思う。

2007年04月08日

「生誕100年記念 ダリ展 創造する多面体」サントリーミュージアム天保山

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旅の行程の途中にサントリー<ミュージアム天保山があったので寄ってきた。

ダリの初期から晩年までの作品を、多彩な活動をたどりながら紹介する展覧会であった。14歳で本格的に絵を描き始めたというが、その若く「しおらしい」時代から晩年の作品まで、どれもがみなくっきりとしていた。本物はぶれない、という感じで、そこに強く惹かれる。
ヨーロッパの古典的な絵画技術を継承しながら、彼独自の革新的な世界の見方が表現されていた。

あるはずがない、しかしどこか記憶にあるような、なつかしいような、そこへ行ってみたいような世界。キリコの絵よりもうすこし親密な感じがする。

彼はとても感覚が鋭く、世界が視覚的に常人とは別に見えていた?、ともいわれるが、そこのところは憶測でしかない。
しかし彼にとって、あの絵の世界が必然であって、装飾の過剰ではないことはわかる気がする。クリシェとしての装飾を付け加えている暇はなかったのだろう。

福岡市美術館に彼の大作があり、かの地を訪れるといつも観ているのだが、茫洋とした水平線までのぼんやりと明るい世界は、たぶん彼の生地ないしは生活地のの風景だろうと考えていたが、今回の展示にあったビデオを見ると、たしかに彼の生活圏には、彼の絵のモチーフが数多くあるように見受けられた。

それにしてもチュッパチャプスの包装紙のロゴが彼のデザインになるとは知らなかった。

よい展観である。お薦めする。

2007年03月19日

完璧な仕事

久しぶりに完璧な仕事を見た。出来事自体は非常に楽しいわけではないのだが…

先日、エリーゼがなにかと衝突した。市街地でそうスピードは出ていなかったが、道路の反対側から小動物がすごい速さで渡ってきてフロントに衝突したのだ。「ばこっ」という感じの音がして、動物の悲鳴が聞こえた。バックミラーに本線上で飛び跳ねている猫を視認した。
車を止めて現場に戻ってみたが、血の跡もなければ、動物もいなかった。その場では絶命せずに逃げ去ったようだが、無事であったとも思えない。不幸なことであった…
(夕やみの中、対向車線の車のヘッドライトの間をすり抜けてきた小動物を、衝突直前に視認したが、ブレーキを踏まずにハンドルをわずかに切って避けただけだったと思う。後続車がいたので、軽い(のでブレーキがよく利く)この車で急制動をすると追突される可能性が大であった。飛び込んできたのが人でないと思った瞬間、停車することはあきらめていたと思う。)

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車を見てみると、右のフロントカナードの近辺になにかがこすったあとがあり、ボディの塗装面が一部はがれ、クリア塗装にクラックが入っていた。

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このままおいてくわけにもいかず、補修とあいなった。

以前に跳ね石でフロントガラスにひびが入った時に的確に修理をしていただいた久保田安全ガラスさんにもっていて、みてもらった。どこかいいところを探してくださるということで、連絡を待っていたら、「カーボディ登川」さんを紹介してくださった。一緒に出向いて相談し、そこで補修をすることになった。親方の登川さんは、落ち着いた方であった。

預けて1週間ほど。「できた」というので行ってみた。
完璧な塗装のエリーゼが待っていた。ヒビはきれいに補修され、塗装も破綻なく、まるで新車の如くである。塗料も、ネットで検索して指定品で作業をしてくださった。さらにフロントのライトカバーに虫が入って取れずにいたのも、補修の際に脱着が必要だったとのことで、カバーを取り外して虫を取り除いてくださっていた。
素晴らしいできだ。

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不幸な事態の後始末ではあったが、プロの仕事を見せてもらったという感じだ。
どうもありがとうございました>登川さん、久保田さん。

あの時の猫に合掌

2007年03月18日

「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900 - 2005」国立新美術館

一気呵成シリーズ:

国立新美術館に初めて行った。(しかし「新」なんて名前に入れちゃって大丈夫なんだろうか…)
乃木坂駅から直結しているが、出たところのチケットビューローでチケットを買うのだが、中の状態がわからないので、「さあ、どこに行きたいの?」と言われてちょっと迷う。選ぶところでもう少し中のことがわかるようにしておいて欲しいと思う。
そこは美術館の北西の角に当たるところで、南西角の入り口までは吹きっさらしをビルの一壁分歩く。やれやれ。
まあとにかく、でかい。入ったところに、とても小さなコインロッカーがある。ロッカーの数は少ない。ほとんどはふさがっている感じ。「正面入口」と言われているのは南東の角で、そちらにはもっと充実した施設があるのだろうか。(美術館のサイトマップをみても、フロアプランや内部図がない…)

中は会議場かコンベンションセンターのようで、なにやらショッピングモール的でもある。外観や構造体から発せられるオーラは威圧的だ。館内のサインは不親切。エレベーターの押しボタンにも矢印はついていない。「上についているボタンが上向き」というメッセージを発していることになるらしい。

ポンピドーセンターの所蔵品から、異邦人の作品をあつめた展覧会が行われていた。藤田嗣治、モディリアーニ、ピカソ、シャガールなどなど。
藤田の猫はあいかわらず猫である。ピカソの赤い人を初めてみたが、顔の表情に強く惹かれる。
シャガールがただのヘタ絵でない理由がわかったような気がした。確固とした表現への意思があるのだ。それが本質的に芸術家が持つべきたった一つのものかもしれない。表現せずにはいられないきもち。(千住さんも似たようなことを言ってたっけかな。「絵がなくては生きていけない」)
名前を忘れてしまった、収容所で死んだ画家の絵があった。きれいなカラーコンポジションだった。かれは「退廃画家」と呼ばれ、捉えられ殺されたのだ。その運命と、今ここにある美しさの対比が強烈だった。側を離れられない絵。磁力があった。

美術館を出たが、ここは地下鉄方面からは、地下鉄構内にしか抜けられないらしい。やれやれ。一度構内を抜け、反対側にでてから学術会議のところを回って六本木トンネルを抜けてからヒルズへ出た。
 ちょっと見たい写真展があったが、くたびれ果てていて、なぜかそれ以上の意欲がわかず、そのまま日比谷線に乗った。あの写真はまたあとで見られるはず。

「鏑木清方と金鈴社の仲間たち」講談社野間記念館

講談社野間記念館は目白通りにある。このあたりは以前に来たことがあって、永青文庫に行くのに早稲田あたりからアクセスしたと思うが、神田川を北に渡って、かなり「胸突き八丁」な坂を登ることになった。その思い出があるので、今回はもっと楽そうなルートを取ることにした。

目白駅から「白61」の都バスで新宿駅方面行きを探す。読み方も知らないので「つばき山荘とおりますか?」などと聞いて乗る。正しい読み名は「ちんざんそう」だとバスのテープ案内でわかる…
その椿山荘前で降りる。バス停を渡るとそこが椿山荘なのだが、さて、野間記念館はいったいどこだ?
普段は間違いなく事前に地図を頭に入れておくのだが、なぜか今回は「つばきさんそうのバス停」しか頭に入っていない。i-modeで地図を見直して「一つ前の目白台三丁目で降りた方がよかったのか?」などと思いながら歩きながら戻ろうとしたら、椿山荘の隣が野間記念館だった…
それにしても知らない時は気づかないもの。永青文庫の帰りに、あの坂にへきえきして、帰りは目白通り方面に出たと記憶している。地図で見るとそこは野間記念館の壁沿いの道である…

講談社野間記念館では「鏑木清方と金鈴社の仲間たち」が行われていた。鏑木らが一時立ち上げた金鈴社という日本画家集団のメンバーの作品が展観されていた。

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私の好みは鏑木清方で、そのことがこの展観でまた確認された。一番の好みだ。
すこし婀娜っぽい、流し目のような目線で、歳にかかわらない一種の色気のある女性たち。特徴のあるおちょぼ口。日本画でありながら浮世絵的な雰囲気もある。

近代以降の日本画を見ていていつも思うのは、写実性と様式性の間にある問題だ。近代以降の日本画はそこのところで揺れている。揺れながらどっちつかずになっており、その中途半端は面白くない。どっちかに割り切ってしまえばいいのに、と思う。

草花図などでそれは顕著で、江戸に勝るものはない。写実が及ばない様式美がある。酒井抱一や鈴木其一などの素晴らしさを思い出す。

別室で「誌上の光影〜須藤しげると加藤まさお」という展観も行われていた。これは昭和初期ころの「少年倶楽部」などの雑誌のイラスト原画で、そのうちのいくつかは驚くほどに現代的なのに感心した。加藤まさおの「われは海の子」などは「アニメージュ」の表紙になっていても全然不思議がない感じがした。子供の頃を思い出すとともに、現在の外の世界ともそれはつながっていた。

ここは休憩室から外の庭にでることができる。街中かと疑うくらいの静かな庭で、風に竹がさらさらとなり、モクレンの木が盛大に花を散らしていた。武蔵野あたりの雰囲気もこのようなものであろうか。少し寒かったが静かな時間を楽しむことができた。

帰りはまたおとなしく目白方面に戻った。

2007年03月17日

谷中・朝倉彫塑館

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朝倉彫塑館は谷中にある。日暮里駅が一番近いようだ。

ここは、一言で言うととっても変わった建物だ。そして魅力的だ。何人かの知人に紹介されたので行ってきた。

この日はけっこう雨風の強い日だった。すこしこごえながら日暮里駅から歩いた。曲がる場所がわからずに、ちょっとさきのどらやきの店で道を尋ねた。このあたりはいわゆる「谷中せんべい」の店?らしいのがたくさんあった。(でも買わず。)

彫塑館に入り、荷物を預けて中に入った。まずは高い天井(というより2階まで吹き抜けている)のアトリエに出る。「墓守り」を始めとする代表作のブロンズ像が並んでいる。一部の床は実はリフトになっていて、床の隙間から地下の明かりが漏れでている。

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アトリエ横の図書室に入ると、さらに嬉しくなってしまった。壁一面の、2階の高さまでの本棚に、クラシックな装幀の本がぎっしりとつまっている。上の本を取るには梯子がいる。とてもノスタルジックな、懐かしい風景だった。

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コンクリート作りのアトリエは、純和風の母屋に接続しており、そこには大きな石のある池と、円をテーマとした2階建ての和室空間が集まっている。

木の枝が、撓められたまま階段の手すりの縁になっていたりする。とにかくそのエキセントリックさは尋常でない。大胆である。
不思議な世界で、ここにはどんな住まいかたがあったのか、と興味が尽きない。

「アルフレッド・ウォリス展」東京都庭園美術館

一気呵成シリーズ:

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アルフレッド・ウォリスはセント・アイヴス(コーンウォール、イギリス)に住んだ船乗りである。彼は70歳を過ぎてから船と自らの住む町をテーマにした絵を描き始めた。それが偶然アートキュレイターの目にとまり、発見された画家である。

その絵のスタイルはプリミティブかつシンプルで、見ようによっては稚拙であるが、独自のテイストを持ち、それにより彼は紛れもない絵描きである。ダークカラーを基調に、ただ描く男。板に、紙に、箱に、壺に、あらゆるものに描いた。彼がなんのためにそうして絵を描いたのかもよくはわからない。

直接には一度も会ったことのないパトロンができ、作品と手紙のやり取りを長い間続けた。そのパトロンは、最終的には自宅と彼の作品をそのままケンブリッジ大学に寄贈し、それがウォリスのコレクションの美術館になっている。

彼の墓石はバーナード・リーチの陶板でできている。かれは一人のクリエイターとして敬意を払われているのだ。
独自の、オリジナルのなにかを持ち、語るものがあれば、ちゃんとその存在価値を認められるのだ。

「志野と織部—風流なるうつわ—」出光美術館

一気呵成シリーズ:

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出光美術館の最近の展観は構成が非常によいと思う。いつごろからか? たぶん風神雷神図屏風のあたりからではなかったかと思うが、展示のテーマやポイントの提示が非常に分かりやすい。図録もそれに符合していて、トータルなプレゼンテーションのしかたがよいと思う。
今回の志野と織部の展示もそのようなものであった。

志野も織部も、笑ってしまうくらいたくさんの作品が展示されていた。どうやって全部見ればいいんだ、という感じである。
志野は卯花墻をはじめとした名品がかなり集まっていた。風雅なデザインと図像が美しい。
織部はばさら、カブキの雰囲気がたっぷりと感じられるものがたくさんでていた。きわめて短い期間にでたものとのことで、ある時代に突然このようなものがうまれ、輝いて消えていったことはとても不思議に感じられる。あの図像はどうしてうまれたものか、それも興味深く、面白い。

結局そういうところから日本画の図像学に興味をもち、なにか適当な読書の対象はないかと探したところ、それらしいものが一つ見つかった。しかし1万円以上もする本なので、どうしようかと考えた末、近くの図書館を検索したところ、沖縄国際大学図書館にあることがわかった。ここは一般者も閲覧できるようなので、ちかぢか行ってこようと思っている。

「松田権六展」国立近代美術館工芸館

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知人に紹介された。全く未知のものであったが、いってみると素晴らしい展観であった。知人に感謝。

漆工芸である。輪島塗を基本とするが、それにとどまらずさまざまな技法が試されている。歴史に裏打ちされた技術の確かさと、それを活かした現代性が調和していて、とても自然で美しいものだった。

最終日とのことでとても混んでいた。どうして観て回ろうかと途方にくれたのだが、結局のところは人についてゆっくり歩くのが一番だとわかった。急がば回れ…

「渚にて」

一気呵成シリーズ:

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「渚にて」監督:スタンリー・クレイマー、原作:ネヴィル・シュート、出演:グレゴリー・ペック、エヴァ・ガードナー、フレッド・アステア、アンソニー・パーキンス他

ネヴィル・シュートの原作は、文庫本で何十年も前からうちにある。そのその映画化だ。1959年作。
冷戦の時代を背景にしたフィクションだ。
核兵器による世界大戦が起きて、地球的に核汚染された北半球からアメリカの原子力潜水艦がオーストラリアに逃げてくる。そこで起きる物語だ。

これは、全て死に行く運命の人たちの物語である。南半球に住む彼らも、いずれは死ぬことを運命づけられている。兵士も、その妻も、まだ1歳にも満たないその子供らもだ。近い将来誰もが等しく死ぬ。
逃げようなく北から徐々に迫ってくる死の気配が、恐怖をもたらす。全編に死の恐怖が漂っている。

50年近くも前の映画ながら、提示している問題はきわめて現代的で、爾来解決していないのかもしれない。リアルな危機感をずーっと感じながら見た映画だ。

秀作である。一見をお薦めする。

最近テレビドラマとしてリメイクされたようで「エンド・オブ・ザ・ワールド」としてAXNなどで放送されるらしい。

「赤目四十八瀧心中未遂」車谷長吉

一気呵成シリーズ:

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作者本人が、NHKの白洲正子を紹介するテレビ番組に出ていた。あの白洲正子がが受け入れた人?、ということに興味を持ち、本を読んでみた。

人生から逃げるように転がり落ちてきた男が、尼崎の最下層民?の世界で出会う物語だ。自分を陰惨に見捨てている主人公のあり方に、なぜか共感し、引き込まれるように読み通してしまう本だった。そして自らが見捨てた、干からびた人生にも、人とのつながりと物語が生まれる。悲惨な物語が。
そしてその悲惨を見捨てずに、冷徹に剥き出したように提示する。

なにかダイアン・アーバスの写真のような、収まらない感じ、異分子の感触を感じる。それが離れ難い魅力となっている。
映画化されているらしい。猟奇やグロテスクにそまらずに、異分子であることをそのままにしている映画ならよいがと思う。


ものを見せる

「大江戸生活体験事情 (文庫) 」

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一気呵成シリーズ:
江戸的生活作法を2年間実地にやってみてその本質を、生活とエネルギー消費の観点からレポートした本。
いくつかの生活の実体験が書かれている。
・不定時法:「明六つ・暮六つ」で生活する。慣れると日の高さで時間を推測できる。日のあるうちの行動を心がけるようになり、省エネルギーである。
不定時法をとりいれた時計があるかと探してみたら、ネット上ではflashで実装されたものがあった。また時計の文字盤を24節気で入れ替えながら使うことで不定時法に対応した腕時計もあった。「今何時?」「(腕時計を見て)五つです」「?」というのも面白そうだ。
・太陽太陰暦:季節に寄り添う生活になる。
・火打ち石:さすがにこれはやっかい。
・行灯:思ったよりとても暗いが、浮世絵などが非常に美しく見える。
・毛筆:当時は実用技術であったこと。木版を利用した印刷技術のこと。現代の筆との違い(水筆と巻筆)。
・着物:現代的ではないが、過ごしやすく美しい。
・木製品:下駄などの生活について。
・親孝行:親孝行を介護とエネルギーの観点から論じる

全体としては、江戸の生活の省エネルギー性に注目していて、それは現代人のエネルギー消費の100分の一程度であったかもしれないとのこと。自然に則した人間的な生活で、不便もあるが、便利のために工夫と知性をつかったものである、と。

現代に住む自分としても、感覚として取り入れていきたいと思うことがいろいろとあった。面白い本である。

2007年03月14日

中津万象園・丸亀美術館

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中津万象園は第二代丸亀藩主京極高豊が作った庭で、先祖の地・近江の琵琶湖をかたどった八景池を中心とした回遊式庭園である。樹齢600年といわれる大傘松もある。
ここにはまた丸亀美術館があり、三つに別れている。

オリエント陶磁館は、オリエント時代の、かの地の陶磁製品をあつめたものである。とても美しいペルシャ釉の、青い壺などをみることができる。私はここで初めて、ラスター釉の美しい金色の発色をした器をみた。金色の中に白抜きのアラビア文字が並んでいる。

ひいな館は、各地核時代の雛に関連したものが集められている。

絵画館は、バルビゾン派のいくつかの作家の作品と、土牛(奥村土牛? 失念)のスケッチが収蔵されている。
このバルビゾン派の絵画には、小品だがなかなか美しいものがいくつかあった。
なかでも私の心を捉えたのはイポリット・カミーユ・デルピーの「花畑」だった。財力があるわけでもないのに、久しぶりに「欲しい」と思った絵だ。
横長の大作で、文字通りの「牧歌的」なフランスの田舎の花畑の風景で、印象派絵画にも感じるような、仮想的な(行ったことがあるわけではない)郷愁やなつかしさを感じる。
思い出すよすがにと絵はがきを買った

この庭は本当によく手入れが行き届いている。私設らしいが、大変なことだと思う。香川を訪れることがあれば、いちどごらんあれ。

2007年03月13日

香川県立東山魁夷せとうち美術館

一気呵成シリーズ:
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香川坂出への旅程の空き時間に訪問した。
香川県立東山魁夷せとうち美術館は、画家の祖父の出身地というゆかりのもと、寄贈された作品を中心に展覧する美術館である。今回訪れた時は、北欧旅行後のリトグラフ作品が中心の展示となっていた。

北欧デンマークなどのスケッチ旅行を元に制作された作品群は、メルヘンの世界そのもののイメージだった。子供の頃の記憶に残る、童話の世界がそこにあった。あこがれや、行ったこともない世界への思い出を感じる。
自分でも描いてみたい、と思わせるような親密さがあった。見てすぐなにかを試してみる心の身軽さが欲しいと思った。