ダイアログ・イン・ザ・ダーク2006
このイベントを知ったのはmixiの知人を通じてで、2004年のことだった。それから2年、ようやく参加のチャンスが訪れた。
会場では予定の20分前のチームに組み入れられた。8人で一グループとなる。薄暗い部屋に連れて行かれ、そこで白い杖を渡され、アテンドのスタッフに使い方を教えられる。先端から拳二つくらい下の部分を鉛筆のように持って、自分の前をsweepするように使うことで、自分の歩くところがどうなっているかがわかる、と。そして、心の準備をしてから、我々はアテンドに先導されて闇の中へ入っていった。
このイベントは闇を体験するイベントなのだ。真っ暗闇。そこを杖や視覚以外の自分の五感をたよりに進んでいく。そして我々を先導してくれる「アテンド」さんは、視覚障害者なのだ。
イベントの詳細に触れるのは「ネタバレ」的なので、行わないことにする。自分がそこで感じたことを書く。
闇に入ってほどなく、グループのメンバーは親密感、共同感をもつようになる。助け合うようになる。そうしないとうまく進めないのだ。我々のチームではさほどでもなかったと思うが、誰か「仕切り」をするリーダーが自然発生するのかもしれない。
現代の若者の「ノリ」を肌で感じた気がする。現場でさくっと関係性を作る。我々は一種「善意の集団」となって、その感覚を持続させていく。
暗闇だと、なにか音のする方に人は歩くようだ。そうしてグループが一まとまりになって進む。
そして音を聞く。近くの人の言葉や、環境からの音。においを嗅ぐ。空気のにおいや土のにおい。手触りを感じる。手すりの竹や、杖から伝わってくる床や地面の感触。手に触れる水や顔にかかる風の感触。最後には味を確かめることもできる。飲み物を飲むことができるが、その味は? 自分は何を飲んでいるのか?
闇から、少しだけ明るい世界にでてくる。そこでメンバーで語り合う。
暗闇で、私は視覚障害のありさまを、ごくわずかながら実感したのだ。もちろん日々自分の生活の問題として闇と向き合っている視覚障害者の方々の真の視点とは差があるのだと思う。まずはこれを楽しんでいるのだから。この世界は善意?で構成されていると言ってもよい。しかし世間の波はそういうわけではないのだから。
当たり前のことかもしれないが、他人との距離感のダイナミックな変化も感じた。暗闇の中、薄明のミーティングルーム、外の光の世界では、メンバー間の距離感も変わってくる。これは視覚の実験だけでなく人間関係の実験の意味もあるかもしれないと思った。災害時などの人間関係の変化もこれに似たようなものなのかもしれない。
会場を出ると、私は自然に外部の生の音を聴くようになったらしい。まずは、walkman(というかiPod)をイヤフォンで歩きながら聞かなくなった。身の回りの音を聞いていたい、と思ったのだ。それが自動車の騒音であれ、地下鉄のノイズであれ。エレクトロニックなサウンドへの、わずかな忌避感が生まれたかもしれない。
またガラスの向こうの音のない世界が変に感じる。レストランで食事をしながら、周りの会話のノイズは聞こえるのに、ガラス越しに見える木立のとてもきれいな景色から、風の音が聞こえてこない(木々は風に揺れているのに)。そのことがとても奇異に感じられた。
いつまでこの感覚が持続するのかはわからないが、バーチャルからはなれ、五感に戻っている、という実感がある
そして、直接感覚で感じたい、と思う。言葉をなくしてしまいたい。しかし我々は人間であり、そこにあるもの、感覚をすべて言語化するのが人間の性(さが)だ。頭の中が言葉に満ちている。
その状態から抜け出したい、と強く思う。直接感じるようになりたい、と思う。
Posted by sheemer at 09:39 PM →Mail Me smmini-183-01.jpg












