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2006年09月 アーカイブ

2006年09月12日

ダイアログ・イン・ザ・ダーク2006

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このイベントを知ったのはmixiの知人を通じてで、2004年のことだった。それから2年、ようやく参加のチャンスが訪れた。

会場では予定の20分前のチームに組み入れられた。8人で一グループとなる。薄暗い部屋に連れて行かれ、そこで白い杖を渡され、アテンドのスタッフに使い方を教えられる。先端から拳二つくらい下の部分を鉛筆のように持って、自分の前をsweepするように使うことで、自分の歩くところがどうなっているかがわかる、と。そして、心の準備をしてから、我々はアテンドに先導されて闇の中へ入っていった。
このイベントは闇を体験するイベントなのだ。真っ暗闇。そこを杖や視覚以外の自分の五感をたよりに進んでいく。そして我々を先導してくれる「アテンド」さんは、視覚障害者なのだ。

イベントの詳細に触れるのは「ネタバレ」的なので、行わないことにする。自分がそこで感じたことを書く。

闇に入ってほどなく、グループのメンバーは親密感、共同感をもつようになる。助け合うようになる。そうしないとうまく進めないのだ。我々のチームではさほどでもなかったと思うが、誰か「仕切り」をするリーダーが自然発生するのかもしれない。
現代の若者の「ノリ」を肌で感じた気がする。現場でさくっと関係性を作る。我々は一種「善意の集団」となって、その感覚を持続させていく。

暗闇だと、なにか音のする方に人は歩くようだ。そうしてグループが一まとまりになって進む。

そして音を聞く。近くの人の言葉や、環境からの音。においを嗅ぐ。空気のにおいや土のにおい。手触りを感じる。手すりの竹や、杖から伝わってくる床や地面の感触。手に触れる水や顔にかかる風の感触。最後には味を確かめることもできる。飲み物を飲むことができるが、その味は? 自分は何を飲んでいるのか?

闇から、少しだけ明るい世界にでてくる。そこでメンバーで語り合う。
暗闇で、私は視覚障害のありさまを、ごくわずかながら実感したのだ。もちろん日々自分の生活の問題として闇と向き合っている視覚障害者の方々の真の視点とは差があるのだと思う。まずはこれを楽しんでいるのだから。この世界は善意?で構成されていると言ってもよい。しかし世間の波はそういうわけではないのだから。

当たり前のことかもしれないが、他人との距離感のダイナミックな変化も感じた。暗闇の中、薄明のミーティングルーム、外の光の世界では、メンバー間の距離感も変わってくる。これは視覚の実験だけでなく人間関係の実験の意味もあるかもしれないと思った。災害時などの人間関係の変化もこれに似たようなものなのかもしれない。

会場を出ると、私は自然に外部の生の音を聴くようになったらしい。まずは、walkman(というかiPod)をイヤフォンで歩きながら聞かなくなった。身の回りの音を聞いていたい、と思ったのだ。それが自動車の騒音であれ、地下鉄のノイズであれ。エレクトロニックなサウンドへの、わずかな忌避感が生まれたかもしれない。

またガラスの向こうの音のない世界が変に感じる。レストランで食事をしながら、周りの会話のノイズは聞こえるのに、ガラス越しに見える木立のとてもきれいな景色から、風の音が聞こえてこない(木々は風に揺れているのに)。そのことがとても奇異に感じられた。

いつまでこの感覚が持続するのかはわからないが、バーチャルからはなれ、五感に戻っている、という実感がある
そして、直接感覚で感じたい、と思う。言葉をなくしてしまいたい。しかし我々は人間であり、そこにあるもの、感覚をすべて言語化するのが人間の性(さが)だ。頭の中が言葉に満ちている。

その状態から抜け出したい、と強く思う。直接感じるようになりたい、と思う。
Posted by sheemer at 09:39 PM →Mail Me smmini-183-01.jpg

2006年09月18日

「風神雷神図屏風」出光美術館

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どこかで目にした雷様の絵で「あああれだな」と思い、行くことにした。

会場の出光美術館は入り口付近がリニューアルして雰囲気が違っていて、ちょっと戸惑った。
中に入るとまず目につく俵屋宗達の「風神雷神図屏風」のところに人だかりができていた。やれやれ、他を見てから戻ってくるか、と先を見ると、そこにも「風神雷神図屏風」があった。そしてその向こう側にもあったのだ!

私はこの「風神雷神図屏風」に複数のバージョンがあることを全く知らなかった。まずは国宝となっている建仁寺所蔵、俵屋宗達の作になるもの、そしてほぼ100年後にその屏風を目にし、それを複製するようにして尾形光琳が描いたもの(国立博物館蔵)、さらにまた100年近く下った江戸末、酒井抱一がその光琳の作を見て描いたもの(出光美術館蔵)。これら三つの風神雷神図屏風が一堂に会するのは歴史上4度目、67年ぶりとのことである。

どれもそれぞれに特徴があるのだが、どれが一番好きかと問われれば、私は光琳作のものを選ぶ。若い時代に遊び人だった彼の「遊び」の心根がでているようで、とてもいい感じがするのだ。観ていると自然に笑いがこみあげてきてしまう。
宗達のものは、保存の状態が今ひとつで、輪郭がぼけてしまっている。これをくっきりと描き出したものを見たいと思った。多分我々が今見ているものとはだいぶ感じが違って見えるのではないかと思う。

それ以外にも、彼らの屏風が梅図や秋草、燕子花などの絵柄で分けられて展示されていたが、どれもすばらしいものだった。特に伝光琳作といわれる紅白梅図屏風(MOA美術館の国宝とは違う)の、デザインの遊びなどに、光琳らしい?、雰囲気を観ることができた。また酒井抱一の草花図(そのうち一つは彼が光琳の風神雷神図屏風の裏側に描いた秋草図の下絵に相当するものである。ちなみに風神雷神図屏風の裏に描かれたものは分割されて別の屏風になり、現在国立博物館で展示中とのこと)は、鈴木其一と並んで美しい。ものの形を正しく普通に描くだけでこれほど美しいのだ、と、先の伊藤若冲プライスコレクションの時に感じたことを、ここでも再確認することになった。

ここに3時間近くもいたのではないだろうか。幸せな気分で、ずっとここにいたいと思うくらいだった。
そのせいか?、スタッフに間違えられてしまった。外国人に間違えられるのはよくあるのだが、学芸員と思われたのは初めてのことであった。

お薦めの展覧会である。

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