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| ガンガー・デ-ヴィー Ganga Devi 上弦の月を喰べる獅子 Lion eating a young moon 19.8 X 22.2cm |
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■ミティラー画とは インド・ビハール州北東部からネパール平原部を含む地域、南北をガンジス川とヒマラヤ山脈に挟まれたこの広い平原地帯は、古来ミティラー王国として栄えてきました。 この地において女性たちは、三千年にわたり、母から娘へと壁画を伝承してきました。 1934年に現地を襲った地震で崩壊した家々から、イギリスの行政官W・G・アーチャーによって発見されて以来、インド政府の援助により、民俗画として甦ったこの絵画は、インド国内はもとより日本や欧米諸国で、魂の芸術として高く評価されています。 |
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■母から子へ 3,000年という時間を越えてきた絵に、変化がほとんどなかったかどうかは、わかりません。しかし、絵を描く人々の精神(こころ)は変わらず母から娘へと伝えられ、現在でもミティラーの人々は絵を描く日の朝には必ず沐浴をします。そして、彼女たちの目は壁(または紙、布)の向こう側に開く広大な空間を見ます。 インドにおいて、土壁は月に2、3度聖なる牛糞で清められ、その度に壁絵は消されるので、絵を描き直さなければなりません。この習慣が壁絵を存続させた第一の理由でした。ミティラーの子供たちは月に2、3度描き変えられる壁絵の中で燈明の光とともに、母や祖母から、その絵にまつわる神話、昔話に耳を傾け、暗黙の内に村落社会の規則、タブーを教えられ、同時に宇宙の本質をもかいま見るのです。 |
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■ミティラー美術館の案内
ミティラー美術館は、豪雪地帯で知られる新潟県十日町市の雪深い森にある廃校となった小学校を美術館としたもので、ミティラー画を所蔵し、常時公開しています。世界に散逸していくミティラー画を一同に集める目的をもってなされたコレクションは、インド政府よりその量と質において、他に類をみないと高く評価されています。
ミティラー画の描き手をインドより招聘し、描かれた創造的作品が主要なコレクションになるほど次々と新たな作品が生まれてます。
●開館時間=午前10時〜午後6時 |
ミティラー美術館館長 長谷川時夫
「祈りのコスモロジー」より
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ガンガー・デーヴィーとの出会いは私とミティラー画との因縁深いつきあいの始まりだった。ひとりの若者が持ってきたミティラー画を見た時、さほど感動しなかったが、その中に一枚の不思議な絵があるのを発見した。巨大な蔓草が天界を覆うようにのび、、幾千万の山々を彷徨する、天と地との空間をうめる獅子がそこにいた。 赤い長い舌は何かを求めている。体の文様をよく見ると、月のような形をしていた。そこで 「上弦の月を食べる獅子」−陽の神スーリヤが沈み始めると、獅子ソンビラートは上弦の月を求めて千山に彷徨する− と名づけた。 私はこの絵を描いた人に会ってみたくなった。 時を同じくして、夢枕漠という作家が、森の中にある美術館を訪れ、ポスターになった絵を見て感動し、2年間かけて構想を練り上げていた大作にこの絵の名前をつけた。作品は書き続けられ、8年の歳月を経て完成し、日本SF大賞を受賞した。 私はといえば、この女性の魂の世界に次第に魅了されミティラー美術館をつくることになった。 |
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また、この地域は、インド古代史の要をなし、原アジア的文化と西方からヒンドゥークシュ山脈を越えて侵入してきたアリアン文化との、混交と激動の歴史を展開してきました。
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ミティラーの由来
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ミティラーは、『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』に登場する神話上の国の名前です。 『アヨーディヤの王ニミの息子ミティが、ここに王国を築いた。ニミ王は、一千年にわたる犠牲祭を執り行うことをバシシュタ仙に頼んだが、すでにインドラ神に頼まれて五百年にわたる犠牲祭を始めており、終了するまで待つように言った。 しかし、ニミは、他の聖仙に頼んで犠牲まつりを始めた。これを知って怒ったバシシュタ仙は、ニミが肉体を失うように呪いをかけ、ニミもまた同じ呪いをかけて二人とも肉体を失う。 バールミーキをはじめとする他の聖仙たちが、ガンジス川のほとりで、死体を聖なる水で洗ったあと擦ると、さん然と輝く体をもつ息子が生まれた。これをミティ(摩擦から生まれたもの)と名付け、ミティの名をとってこの王国はミティラーと呼ばれてきた。』 アジア最古にして最大の叙事詩『ラーマーヤナ』のヒロイン、シーター姫はこの王国の王女であったとされています。シータはミティラーの王、ジャナカが畠を耕しているときに、畠の畝(うね)から生まれたと言われています |