4・東村高江のヘリパッド建設計画
●北部訓練場の半分を返還する
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沖縄島の北の地域を「ヤンバル」と呼び習わしている。かなりの面積を米軍のジャングル訓練場が占めている。右の図の赤と緑の位置である。その中には20箇所あまりのヘリパッドが作られており、海兵隊員をヘリコプターからロープで降ろしたり、空と陸を結ぶ訓練を行ってきた。 1996年12月2日のSACO合意で、北部訓練場の北半分(右の図の赤)を沖縄に返還し、そこにある7ヶ所のヘリパッドを使用を続ける訓練場(緑の部分)に移設する、との合意がなされた。 |
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| この地域、東村高江(ひがしそん・たかえ)の人々は水源と命が脅かされる、と反対の声を上げた。 1999年発表された7ヶ所のヘリパッド予定地(右・合成航空写真の赤点)周辺はきわめて自然度の高い地域であると学者たちは指摘している。 1999年6月、「琉球列島動植物分布調査チーム」の学者8名が計画の見直しを求めた。 右図の拡大は左クリック |
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「ヤンバルを国立公園や世界遺産に指定しようという機運がある中で、たんに生物学上の重要性からだけではなく、環境行政の観点からも、県民の遺産とすべきこの地域一帯の保全に国は県が先頭に立って取り組むべきものと考えます。ヤンバルの貴重な生物相と生態系を保全するためには、移設計画の縮小や、影響の最も少ない場所の選択などが必要です。本計画の見直しを関係各機関に働きかけていただくようご協力を要請いたします。」
この要望書によって計画の変更を余儀なくされ、5年間ほど静かになり、そのまま計画が棚上げになるかにみえたのだが・・・
2006年2月末から、日本政府・那覇防衛施設局が、この地域で場所をずらし数を6ヶ所としたヘリパッドの建設計画を発表した。
●亜熱帯の森に新たな6カ所のヘリパッドが
●歩行ルートの謎は
| 2006年2月に那覇防衛施設局が縦覧した文書に対して、住民から右のような意見書が出ている。 新たに手に入れた宇嘉川河口とGヘリパッドを結んで様々な状況を想定した訓練をするのだろう。 リュウキュウヤマガメは米兵の腹に納まる恐れがあるが・・ |
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| この意見に対する那覇防衛施設局の回答を右に示すが、意味がはっきりしない。 G地区と提供水域との間を、米軍兵士が踏み荒らすことになるはずだが・・・ 那覇防衛施設局は現存する獣道を歩くと口頭で説明するが環境アセス文書の何処にも、その記述はなく、言い逃れるための場当たり発言である。 |
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この区域は太平洋に面して100mほどの断崖が続いており、陸から海へのアクセスができない。宇嘉川の河口だけが写真に示すように唯一断崖が切れた地形である。干潮時の写真である。かねてからこの川の流域と河口を米軍はねらっていたものと考えられる。1997年12月に新たに提供を受けたのがここなのだ。 |
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| 米軍のホームページで見つけたのは1999年の夏であったか。3機のオスプレイがゴムボートを海辺に下ろしている。宇嘉川川口とそっくりの地形ではないか。 海から上陸して歩行ルートを経て空に脱出する。あるいはその逆の訓練を行う。 そのために、安波ダムの水べりの訓練場を返し宇嘉川河口から太平洋を新たな訓練場として手に入れたのだ。 オスプレイを配備する準備として。 |
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四つの基地の移設条件付の謎の答えの一つがここにあった。
「ヘリパッドを高江に移設した後」の北部訓練場の部分返還と、
「海に繋がる訓練場取得した後」の安波訓練場の返還は
繋がっていたのだ。
沖縄の海も陸も空も、1945年以来、戦争をし、人殺しをする兵士たち(自衛隊も)の軍靴のもとにある。そのことに、日本の人たちは思いをよせたことがあるだろうか。
人口150名ほどの静かな東村高江(ひがしそん・たかえ)の人々、そして我が事として共鳴する人たちがヘリパッド建設への反対運動を続けている。
●高江の日々の動きについてはhttp://takae.ti-da.net/
ここまで読んでいただいた方々に、お手元の地図帳を開いて、東村高江の位置を確認し、環境をイメージして欲しい。
辺野古の海上基地、高江のヘリパッド、これらの計画を阻止するために沖縄人の智恵と力を合わせる日々が続く。