2・県民の願いは「基地の整理縮小」であったのに

●発端は1995年9月の少女レイプ事件

辺野古での新たな海上基地建設問題の発端と経過を振り返ってみよう。

95年 9月 4日 少女暴行事件をきっかけに「基地の整理縮小」、「日米地位協定見直し」の声が強まった。
95年10月21日 85,000人の県民大会が開かれた。
95年11月19日 日米両政府の間に、その声を受けて「沖縄に関する特別行動委員会(the Special Action Committee on Okinawa 略してSACO)」が立ち上げられた。
翌96年4月15日 普天間移設条件付返還などのSACO中間報告を経て、
12月 2

最終報告(SACO合意とよんでいる)で移設条件付の普天間飛行場など11の基地の返還が発表された。

中間報告と最終報告の内容にほとんど違いがない。SACOの発足から中間報告まで、わずか5ヶ月足らずで、普天間返還という重要な事柄が決められるものなのだろうか。

●SACO合意の裏を読む調査を始めたのは1999年7月

99年7月末、SACO合意の背景に隠されている事実を米軍の文書から解き明かすための研究会、
「SACO合意を究明する県民会議」を市民グループで立ち上げた。

沖縄県立公文書館が米国から取り寄せた膨大な文書は、宮城悦二郎先生(公文書館初代館長・元琉球大学教授2004年6月7日没)が精力的に点検した。

一連の作業を経て、私たちは次の結論に至った。SACO合意とは、基地を返還すると見せかけて、実は米軍基地を「統合・強化・近代化」する計画だ、ということである。

SACO合意文書に記されている返還米軍基地リストをそのままの順序で示す。赤字で示した四つの返還と、移設条件は相互に関係している謎解きはあとで・

<返還施設> <返還条件>
普天間飛行場 1500メートルの滑走路など機能を移設した後
北部訓練場 7ヶ所のヘリパッドを移設した後
安波訓練場 海につながる新たな訓練場を取得した後
ギンバル訓練場 ヘリパッドをブルービーチに移設した後
楚辺通信所(象のオリ) 通信所を移設した後
読谷補助飛行場 パラシュート降下訓練を伊江島に移転した後
キャンプ桑江の一部 海軍病院を移設した後
瀬名波通信所 通信施設を移設した後
那覇港湾施設 浦添・牧港補給地区沖に移設した後
住宅統合
(キャンプ桑江と瑞慶覧)
住宅を移設した後


●基地機能の強化を狙ったSACO合意

このリストの返還施設の順番には脈絡がなくばらばらにみえる。それを米軍の立場にたって整理してみると、3つのグループにすっきりと分類できて、米軍の意図がよく分かる。


第1のグループは、
基地の近代化を図っていることが明らかな施設群。建ててから50年近く経過した病院や住宅、通信施設を別の基地内に新設して、その跡地を返還するというグループである。楚辺通信所(象のオリ)、瀬名波通信所、海軍病院があるキャンプ桑江の一部、キャンプ瑞慶覧の一部である。


第2のグループは、
米軍の長期計画を隠して、「沖縄県民の要求だから返還し、替わりの基地を作る」と説明されている那覇軍港と普天間飛行場の移設条件付き返還である。


第3のグループは、
危険な垂直離発着機オスプレイの訓練場を作る意図が隠されている北部訓練場、安波訓練場、ギンバル訓練場の返還である。

上の図は左クリックし、図の右下の拡大ボタンで拡大できます。

本サイトの主な目的は、

★辺野古の海上基地建設問題、
★高江のヘリパッド建設問題の背後を、

●米軍関係の文書などから、米軍(米国政府)と日本政府の意図を探ることにあり、

●現在、辺野古で行われている「環境現況調査」の違法性、
 高江の工事強行の違法性を問うことにある。


福田毅さんの
「沖縄米軍基地の返還---SACO合意の実施状況を中心に」

と題する論文が、1972年の施政権返還の後から、今日までの米軍基地問題の流れを、公表された文書からしっかり検証しています。2003年10月時点での状況を丁寧に書いてあります。レファレンスという国会発行の書物です。下記からPDFファイルをダウンロードできます。ご一読をお勧めします。
本サイトに書いたこととの比較検証にも役立つと思います。

http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200310_633/063301.pdf

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